心頭滅却すれど火は熱し

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昔の翻訳小説に出てくる「無理やりで説明的な翻訳語」の魅力

こんにちは、カラマゾフです。

 

外国文学を日本語に翻訳した小説では、「外国にはあるけれど、元々日本には存在しなかった物事」が頻繁に登場します。例えば、ワインやチョーク、オートミールなどです。現在ではそれらの言葉は外来語として定着しているため、外国の発音をカタカナに置き換えて表記されています。

 

ところが、昭和や明治大正の時代に日本に翻訳された小説では、これらの外来語が「日本語に置き換えられている」という場合があります。ワインがぶどう酒、チョークが白墨、オートミールが麦粥などといった具合です。

 

おそらく昭和以前には、一般的な日本人は外国の文化についてほとんど知識がなかったと思われます。そのため、例えば「ワイン」が何なのか、具体的に知っている人は少なかったのではないでしょうか。そんな人が小説を読んでいて、「ワインを一口飲んだ」という表現が出てきたとしても、いったい何の事かさっぱりわからなかったでしょう。

 

そして、そういう「読み手の知識不足」は、翻訳において頭痛の種になります。外来語として「ワイン」と押し通すと、読み手は何のことだかわかりません。かといって、日本にはもともとワインは存在しなかったので、適切な訳語があるわけでもありません。

 

しかし、何とかそれを解決する方法があります。「外国の言葉を、日本語で無理やり置き換える」という事です。例えば、ワインには「ぶどう酒」という訳語がありますが、おそらくこの言葉はそういった苦労の中から生まれてきた言葉でしょう。(違っていたら申し訳ないです)

 

ワインを知らない人であっても、「ブドウから作られたお酒」と言われれば何となく想像はつきます。そして、「ぶどう酒」という表現は、「ブドウから作られたお酒」を表現するには適切な造語になります。

 

他にも、「チョーク→白い墨→白墨」、「オートミール→麦で作った粥(かゆ)のようなもの→麦粥」などといった表現が、似たような言葉にあたるでしょう。

 

こういった「無理やり日本語に置き換えたような言葉」は、確かに外国にあって日本にないものを伝えるには適切ですが、一方でどことなくぎこちない感じがします。

 

外国文化が日本に浸透した昭和後期や平成時代に書かれた文章を読むと、大体において「ワイン」「チョーク」「オートミール」のような言葉は、外国語の音をそのままカタカナに置き換えた外来語として登場します。そのことは、「ぶどう酒」「白墨」「麦粥」といった言葉が、どうにもしっくりこないという事を裏付けているのではないでしょうか。

 

しかし私は、「無理やり日本語に置き換えたような言葉」にも、独特の味があると思うのです。そういった表現は、確かに語感としてはぎこちないものの、「物そのもの」、つまりワインであれば「ブドウから作られたお酒としての、ワインそのものの性質」を、リアルに感じさせる表現だとも思うのです。そして、翻訳小説などであれば、そういった「リアルな感じ」は、小説の世界観に没頭するうえでは、かなりの助けになってくれると思うのです。

 

そして、そういった話題についてツイッターで話していたところ、フォロワーの一人に、「エンジン→発動機」、という翻訳もいいですよ!堀口大学訳の『人間の土地』(原作はサン・テグジュペリ)の中に出てくる表現です」と教えてもらえました。

 

実際に読んでみたところ、「発動機」という表現は実際に出てきましたし、他にも「コート→外套」、「パイロット→操縦士」といったような表現もありました。

 

「人間の土地」は、飛行機乗りについての話なのですが、「エンジン」よりも、「発動機」という表現の方が、機械がガソリンを燃やして荒々しく音を立てる様子、その荒々しい動きが回転運動になってプロペラを動かす様子、そういった燃焼や動作から発せられる独特のにおいといったものが、感覚的に、リアリティを伴って立ち現れるような気がします。

 

そして、そういったリアリティこそが、「無理やり日本語に置き換えたような言葉」の最大の魅力だと思うのです。どれほど現代の日本に外国文化が定着しようと、外国、特に西洋の物事はまだまだ「異物」という感覚は否めません。「ワイン」などの言葉を、そのまま外来語としてカタカナで表現する方が確かに文章は引き締まるでしょうが、「異物が混ざっている」という感覚は拭えないでしょう。

 

一方で、「ぶどう酒」という表現は、ぎこちないのは確かですが、ワインそのものの性質を上手く伝えてくれて、日本人の自分にとってはワインが異物であることを一瞬忘れさせてくれます。むしろ、自分が西洋人になって、ブドウで造られたお酒を楽しんでいるような感覚にさせてくれる気がします。

 

「無理やりで説明的な翻訳語」は、確かにぎこちなさはあるのですが、その翻訳された単語そのものを上手くイメージすることができる上に、カタカナで表記される外来語独特の異物感を軽減してくれて、まるで自分が元々外国人であったかのような気分にさせてくれると思うのです。

 

最近では、そういった表現がどうにも少なくなっているのが、個人的には残念だなと思う時もあります。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。カラマゾフでした。

 

人間の土地 (新潮文庫)

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