この世はいつでもディストピア

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読書量を冊数で測るおかしさ~冊数はあまり関係ない~

こんにちは、カラマゾフです。

 

自己啓発本や、成功哲学の本を読んでいると、まず、「本を読め」という主張にぶつかります。実際に読書が年収を押し上げるというデータもあり、読書が成功への道のりに欠かせないものであることは疑いようがない事実でしょう。

 

そして、ブログ記事でも読書について言及しているものは多くあります。現に私も、読書についての記事を書いたことがあります。

karamazov012.hatenablog.com

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そのような、読書についてのブログ記事でよくあるのが「月に〇〇冊読破する方法」といったものでしょう。速読や各種読書法を活用して、1ヶ月の間に大量に読書する方法が書かれています。

 

しかし、そのような「冊数で読書量を測る」というのは、ある意味でおかしいことなのではないかと私は思っています。

 

実際に読書に没頭するとなると、最初から最後まで精読する本と、部分部分を飛ばし読みする本とが出てくるため、それらを同じ「一冊」と数えていいのかどうかという問題が出てきます。

 

また、理解しやすい自己啓発書と、難解な人文科学の本が同じ一冊だからと言って、それらを同列に扱うことはできないでしょう。内容の深さとボリュームが違います。

 

今回は、そのことについて書いてみます。

 

読書に慣れるほど、部分読みが当たり前になっていく

読書に慣れていくと、部分読みが当たり前になってきます。部分読みとは、本の中で重要な箇所や興味のある個所だけに目を通し、最初から最後までは通読しないという読み方です。

 

最初から最後まで読まないのであれば、本を買った意味がないと思うかもしれません。しかし、そうではないのです。本を読む目的は「情報を得る」という事が第一です。自分にとって有用な情報が手に入れば、その読書は成功したと言っても過言ではありません。

 

そのため、読書に慣れ、「読み方を知る」うちに、部分読みで必要な情報のみを得るのが当たり前になっていきます。部分読みをしていると、最初から最後まで本を読み通すわけではありません。

 

また、本によっては最初から最後まで通読する場合もあります。しかし、その冊数は限られているので、通読した本のみを読書数とすれば、途端に読書数は落ちてしまいます。

 

そのため「何冊を読破した」ということを、正確にいうことができなくなってくるのです。

 

本の「重さ」は、それぞれで全然違う

ある程度読書に慣れてくると、「この本は重いな」とか、逆に「この本は軽いな」というのがわかるようになってきます。物理的な重量ではなく、本の内容の重さのことです。

 

決して重い方がいいというわけではありません。しかし、重い本はやはり読むのに時間がかかり、一冊からくみ取れる内容も多くのものがあります。逆に、軽い本は読むのに時間はかかりませんが、その分娯楽としてよくできていたり、ハウツーを実践に移す際にすぐに実行できたりするといった長所があります。

 

「重い本」の中にもいろいろとありますが、小説で言ったら三島由紀夫の作品でしょう。彼の文章は非常に緊密で、比喩もちりばめられています。一言一句を鮮明にイメージしながらゆっくり読まなければ、真に三島由紀夫の文章を味わうことはできないでしょう。

 

また、実用書などの中では「サピエンス全史」のような学術的な要素を含む本は比較的重い気がします。実際にサピエンス全史は非常に濃い内容で、様々な周辺知識を同時に取り込むことができますが、その分じっくりと読み進める必要があります。

 

逆に、軽い本の例としては、池井戸潤などが書くミステリー小説などがあげられるでしょう。ミステリーは話の筋が重要なので、文章を重くしては読者が疲れてしまいます。そのため、軽くすらすらと読める本が多いのでしょう。

 

また、実用書などのなかで軽い本としては、「お金2.0」などのビジネス書があげられるでしょう。そのような本は、読み通しやすく、その分知識としてのアップデートが容易で、すぐに実践に移すことができるという長所があります。

 

「重い本」と「軽い本」の間に優劣の差はありません。あくまで用途が違うだけです。しかし、それらを「同じ一冊」とひとくくりにすることはできないでしょう。「サピエンス全史」と、「お金2.0」の両方をよんでみればわかりますが、この二冊の本を「同じ一冊」とカウントすることはできません。

 

「質と量」のバランスをとることが大事

読書では、いくら冊数を積み上げても、「軽い本」ばかりでは、なかなか実りが得られることはないでしょう。「軽い本」は、実践には役立ちますが、質より量が優先されているきらいがあり、「深い知識」を得るには向いていません。

 

逆に、「重い本」をじっくりと読み進めるだけなのも実践がおろそかになりかねません。「重い本」は質はいいのですが、量が足りなくなることもあります。それに、実践がおろそかになり、頭でっかちになりかねません。

 

「軽い本」で量を確保して、「重い本」で質を確保するのが、効率のいい読書方だと私は考えています。そして、その両者の本を同一の「一冊」とカウントすることはできません。

 

質と量のバランスをとりつつ、自分にとって有用な情報を手に入れ、血肉に変えていくのが「良い読書」といえるのではないでしょうか。そしてそこでは「読書数・読破した冊数」は、さして重要ではなくなるのです。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。カラマゾフでした。

 

 

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