心頭滅却すれど火は熱し

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「面白くないタイプの陽キャ」について思う事

こんにちは、カラマゾフです。

 

スクールカーストというものは、意外なほどまで人生を大きく左右します。10代の時間を学校の中でどのように過ごしてきたかということは、人格に影響する重大な要素なのです。

 

地位が低かったら、卑屈になってしまう事があります。また、地位が高ければ、自信を持ったふるまいができるようになり、将来にわたっていい影響があったりします。

 

しかし、スクールカーストの中で地位が高かったために、「センス」が磨かれていない人がいるなあ、と感じる時もあります。今回はそのことについて書いていきます。

 

因みに、私はスクールカーストの中では中位~下位をさまよってきた典型的なキョロ充です。そのため、上位の人へのルサンチマン(恨み)があることも加味して読んでくださればと思います。

 

 

自信満々で面白くないことをいう一部の陽キャ

陽キャというか、目立つ人というのはたいてい面白い人です。彼らは磨かれた話術で笑いを提供してくれ、場をにぎやかにしてくれます。

 

そんな彼らは自信に満ちています。高いコミュニケーション能力で、華々しい学生生活を送ってきたからです。クラスメイトや部活の仲間にちやほやされたことで、自然と自信を持った態度が身についているのです。

 

しかし、そんな「陽キャ」の中にも一部、ものすごくつまらない人が存在するのも事実です。「おもんないタイプの陽キャ」は、自信満々でつまらないボケやギャグ、突っ込みを繰り出します。そして周囲はしらけかえるのですが、本人は自分がつまらないことを自覚することはありません。

 

さんざん場の空気を盛り下げるだけ盛り下げるのです。

 

そんなタイプの陽キャは大体、イケメンだったり運動神経が良かったりします。つまり、「コミュニケーション能力」がなくとも、スクールカーストで上位をキープできるだけの要素を持っているのです。

 

しかし、そのことが、「自分のつまらなさを自覚しない人間が生まれる」という、悲劇の元凶ともなってしまっているのです。

 

彼らは中高時代に「笑いを搾取」していたことに気付いていない

中学高校時代の、昼休みの時間を思い浮かべてください。黒板の前に立った二人の野球部員が漫才を披露しています。教室は笑い声に包まれ、非常にすがすがしい青春の一幕です。

 

しかし、本当にすがすがしいだけなのでしょうか。

 

野球部員の漫才は、冷静になって聞いてみたらクスリとも笑えないほどレベルが低い場合が大半です。内輪ネタや先生の物まねなどで何とか笑いを確保していますが、そのほかの「漫才としてのネタ」は大して面白くなかったりします。

 

しかし、そんな「冷静に考えれば面白くないネタ」でも、教室は笑いに包まれます。「野球部の権力」言い換えれば「スクールカーストの権力」が背後にあるためです。「野球部員が発したギャグには、とりあえず笑っておく」という空気はなかったでしょうか。

 

そんな風に「スクールカーストで笑いを搾取する構造」が、教室の中に潜んでいるのです。

 

生まれつきのコミュニケーション能力が高い人間が、スクールカースト関係なく笑いを取って、高い地位につくことはよくあります。しかし一方で、運動神経や顔面偏差値などで高い地位を獲得したが、コミュニケーション能力が低い人間も一定数存在します。

 

そのような「コミュニケーション能力は低いが、スクールカーストでの地位は高い」タイプの人間が、笑いを搾取するようになると、途端にしんどいことになります。

 

「面白くないタイプの陽キャ」は、「笑いを搾取している」ということに気付けません。そもそものコミュニケーション能力が低いために、自分がつまらない人間だということを自覚できないのです。

 

しかし、教室という特殊な空間では「笑いをとる(実際は搾取している)」ことができるため、彼らは自分のことを面白い人間だと勘違いしたまま、年を重ねてしまうのです。

 

「自分のつまらなさを自覚してない陽キャ」とはかかわらない方がいい

つまらない陽キャとは言っても、腐っても陽キャです。持ち前の積極性で、人間関係は割とにぎやかになります。そのため、彼らとかかわる機会はそこそこ多くなります。しかし、彼らとは深くかかわらない方がいいです。

 

まず、彼らは自分が「面白いことを言えない人間」ということを自覚していないのに、やたらと笑いを取りたがります。そのため、場は冷え込んでしまい、会話はつまらなくなります。

 

しかし、彼らは自分の面白さに根拠のない自信を持っているので、しらけたことを周囲のせいにします。その場合は、その場に居合わせた陰キャが犠牲になります。「お前が俺のギャグを拾わないせいでしらけた」と、彼らは本気で言ってきます。迷惑でしかありません。

 

また、笑いが取れないことに業を煮やして、弄りをかましてくることもよくあります。気遣いと面白さが両立している弄りならばいいのですが、コミュニケーション能力が低い彼らにそれは期待できません。

 

迷惑なうえに、何も面白くない弄りをかましてきます。そんなのに付き合うのは人生の損失ともいえるレベルです。彼らからは距離をとるのが正解でしょう。

 

 

そんな人がブログやツイッターで滑っているのを見ると、悲しくなるけどスッとする

話は転じて、ネット上の世界についてです。

 

ネット上の世界は、ある意味で平等で、ある意味でものすごく残酷です。面白い人は不細工だろうがニートだろうが犯罪者だろうが評価されます。一方で、つまらない人はエリートだろうが芸能人だろうが社長だろうが無視されます。

 

ごくまれに、そんなネット上の世界に「つまらなさを自覚していない陽キャ」が参入してくる時があります。特に、ツイッターやブログ、ユーチューブにそのような人は多い気がします。

 

彼らの作るコンテンツは見ていて痛々しいです。どこにも面白い要素がないのに、自信だけは満々です。しかし、コンテンツをいくらネット上にアップしても、他のユーザーが反応することはありません。

 

単純に面白くないからです。

 

その無反応というか、無視にさらされた彼らがだんだんと意気消沈していく様は、独特の悲哀を帯びています。しかし、スクールカーストの中で彼らの「クッソつまらない弄り」の被害を受け続けていた私のような陰気な人間にとって、彼らが意気消沈していく過程は、とても面白いコンテンツだったりするのです。

 

早い話が、ルサンチマンが一時的に解消される至福のひと時なのです。悲しい気分になると同時に、スッとしてしまうのです。

 

ただ、これ以上続けると陰気臭さが極まってしまうので、この辺で終わりにしておきます。

 

 

グチグチした内容に最後まで付き合っていただき、ありがとうございました。カラマゾフでした。

 

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