この世はいつでもディストピア

色々と書いてみます。ツイッターもやってます(@karamazov012)

夢を追いかけられない人間にかけられるプレッシャー

こんにちは、カラマゾフです。

 

世間では、「夢を追いかけること」がやたらともてはやされます。何か「ワクワクするもの」を見つけて、それに向かってひた走ることが推奨されています。『「原体験」を大切にして、自分の進みたい道に進みなさい』と、成功者は口をそろえて言います。

 

そして、原体験を持ち、夢に向かって走り、ワクワクに突き動かされて努力を積み重ねる人間はキラキラしています。まぶしすぎてみていられません。

 

そして残念ながら、私はキラキラしていません。私には夢も、ワクワクすることも、原体験もありません。たまに「これだ」と思うようなものは見つかるのですが、数日後にはその情熱は冷めてしまっています。

 

今回は、そのことについて書いてみます。

 

なんでそんなにキラキラしてるの?怖いんだけど

世の中には人を惹きつける人間と、惹きつけない人間の二種類がいます。そして、惹きつける人間に共通しているのが「キラキラ輝いている」という事でしょう。

 

彼らは何かしらの夢や目標を持ち、原体験に突き動かされ、ワクワクを求めて疾走します。確かに輝いています。そしてその熱量で多くの物事を成し遂げ、成功への階段をひた走っていきます。

 

そんな彼らを見た時、私はある感情を抱きます。恐怖です。彼らの熱量に気圧されるのです。

 

ベンチャー企業インターンに励んでいるA君や、大学で研究に励んでいるBさんを見た時、私は彼らを「怖い」と思ってしまうのです。

 

向こう見ずで、ひたすら楽しいことを追い求める狩猟本能のようなものを、彼らは隠すことなくさらけ出しています。

 

よくもまあそこまで「ワクワク」だけに突き動かされることができるよねと、半ば呆れつつも恐怖を感じてしまうのです。

 

キラキラしようと頑張ってみたら、疲れちゃいました

まあ、愚痴ばっか言っていても仕方ありません。愚痴を垂れ流すだけだと、周囲を惹きつけないどころか、距離を置かれてしまうタイプの人間になってしまうことぐらいは知っています。愚痴だけでなく、自分も行動してみなければなりません。

 

という事で、私も「キラキラ輝いて」みようと何度か試みてみました。その結果、「キラキラしたら疲れる」という事が分かりました。

 

そもそも私はインドア人間です。内向的な人間です。キラキラするために社交をすると疲れがたまり、すぐにボロが出てしまいます。

 

また、集中力があるタイプでもありません。何かを成し遂げようと集中しても、すぐに疲れがたまって放り出してしまいます。たまに集中できる物事を見つけられるのですが、大体一週間後には興味が別の事に移ってしまいます。もって二週間といったところでしょうか。

 

そして体力がない人間でもあります。睡眠時間が8時間を切ると日中どうしても眠くなり、肝心な場面で寝落ちをしてしまいます。その上慢性的な不眠症にも悩まされているので、普段から睡眠が足りず寝落ちや白昼夢を繰り返しています。

 

乏しい体力と、中途半端な好奇心と集中力が私の特徴なのでしょう。これではキラキラすることはできません。

 

そんな私を見て、キラキラしている人は、「まだ本当に自分が大切にしているものに出会えていないだけだ」とか、「何か一つの物事に集中するべきだ。突破力だ」とアドバイスをしてくれるでしょう。

 

しかし、私にはそれらアドバイスは空疎なものに聞こえるのです。現に試してみて、駄目だったのですから。

 

そもそもスペックが違うんじゃ!

私が「自分はキラキラできない人間だ」と思うようになったのはもう一つ理由があります。彼らと自分の格の違い、スペックの違いを感じてしまったためです。

 

掘ってみると、彼らは大体とんでもないエピソードを持っています。営業インターンで月数十万円稼いでいただの、経験人数が100人近いだのです。そんな彼らと接していると、圧倒的なコミュニケーション能力やバイタリティの差を感じることが少なくないのです。

 

また、とんでもないエピソードがなくとも、「中高では生徒会長をしていた」や、「中高では部活でキャプテンをしていた」などといった話が当たり前のように飛び出してきます。

 

教室の隅っこで、目立たないことを旨として生きてきた私とは比べ物にならないバイタリティーです。

 

どうも、彼らは私とは異なる人種のようです。彼らは輝ける人種で、私は輝けない人種なのでしょう。バイタリティーだとか、コミュニケーション能力だとか、知力体力といった点で、私は彼らに太刀打ちできないのです。

 

それでも目に入る「あなたも輝ける」というメッセージ

という事で、キラキラすることを諦めた私ですが、それでも「あなたも輝ける」というメッセージは至る所で垂れ流されています。

 

また、授業やセミナーでも、キラキラする人種は目立ちます。キラキラする人種ほど、前に出て自分の夢を語り、「みんなも夢を追いかけよう!!」といったメッセージを語り掛けます。

 

その裏には「輝けない人間は価値がない」というメッセージが潜んでいます。

 

輝いている人がそれを認めようが認めまいが、彼らは心のどこかでは「輝いていない人間は価値がない」と考えています。

 

現に、今最も輝いている人間であるZ〇Z〇T〇WNの前〇さんは、100万円を抽選で当てるという企画で、「輝いている人」に優先的に当選させたことが指摘されています。

 

それはつまるところ、「輝いている人は100万円を与える価値があるが、輝いていない人間には100万円をあげる価値はない」と、彼が判断したという事です。

 

しかし、輝ける人のメッセージはそこでは終わりません。「輝いていない人間も、いつか輝けるようになる・あなたも輝ける」というメッセージが続きます。そのメッセージに、私は一種の嫌悪感を抱いてしまうのです。

 

「すべての人間は特別という思想」が嫌い

そもそも、「自分が輝いていて、ほかの皆も輝けると信じている人達」は、ある共通の思想を持っています。「すべての人間は特別」という思想です。

 

「すべての人間は特別で、それぞれかけがえのない個性を持っているのだから、どんなひとでも磨けば輝ける」と、彼らは信じているのです。

 

そのため、輝いていない人を見ると、彼らは「この人は自分の個性を磨くことを怠っている」という発想になり、輝いていない人を見下すようになります。

 

また、輝いている人の中には、「別に全ての人が個性に恵まれているわけではなく、磨いても光らない人はいる」という考えを持っている人も(少数ながら)存在しています。

 

しかし、彼らにとっても輝かない人は価値のない人間です。「輝けないという事は個性がないという事であり、個性がないという事は価値がないという事だ」というわけです。

 

そもそも、皆が輝けるという考え方が破綻していると私は思うのです。

 

みんな輝いたら、それが基準になります。例えば、皆が100輝いたら、100輝く人間は「輝いてない人間」とみなされ、200輝く人間しか「輝いていない」とみなされる事になるのです。

 

それは終わりのないレースでしかありません。疲れるだけです。そのレースに向いている一部の人間だけで輝いてほしいのです。周囲の人間にも参加することを強制しないでほしいのです。

 

 

以上、ぐちぐちと書いてみました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。カラマゾフでした。

 

夢をかなえるゾウ

夢をかなえるゾウ