この世はいつでもディストピア

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源氏物語(現代語訳)を読んだら、見える世界が変わった

 

こんにちは、カラマゾフです。

 

私はここ半年ほどをかけて、谷崎純一郎が現代語訳した源氏物語をゆっくりと読み進めてきました。今は宇治十帖(源氏物語のクライマックス)なので、今から数日間をかけて一気に読み進める予定です。

 

そして、源氏物語を読み進めていく中で、自分が「見える世界」が変わってきたという事を今回は記事にしたいと思います。

 

 どの様に「見える世界」が変わったか

ざっくりというと、「現実を見る際の解像度が上がった」という事でしょうか。

 

今までは何とも思わなかった風景や人情に細やかな美しさを見出して感動できるようになったのです。

 

人間関係の中に紛れ込む打算や、打算を超越した友情や愛情などを上手く言葉に表現できるようになりました。そして、それらすべてに潜む美しさというか、儚さなどを感じ取ることができるようにもなりました。

 

また、ただぼんやりと眺めていた風景にも、それぞれ独自の美しさがあることにも気づけてきました。雨の音や鳥の声はもちろん、都会の喧騒に潜む人間の息遣いや、コンクリートジャングルの中に溶け込んでいる色彩などにも気づくことができるようになりました。

 

 

なぜ、「見える世界」が変わったのか

源氏物語では様々な人物の感情や、様々な風景の美しさが細やかに描かれます。その細やかな描写に触れたことで、私の中にある「物事を理解するための感性(型)」が増えたために、「現実を見る際の解像度」が上がったのだと考えています。

 

もう少しかみ砕いて書いてみます。

 

人間が現実を理解するとき、現実そのものを理解することはできないと私は考えています。そうなると、どこかしらで物事を捨象する必要があるのです。

 

そしてその捨象した物事を心の中で一定の「感性」に沿って解凍することで、物事を理解しているのだと考えています。

 

源氏物語では多くの心情や風景が出てきます。それらは作者である紫式部が持っていた「感性」に沿って理解された現実です。源氏物語とは、いうなれば紫式部が持っていた「感性の集合体」なのです。

 

彼女の「感性の集合体」をかみ砕いているうちに、自然とその感性が私の中にも浸透してきて、私自身の感性も(多少は)豊かになったのでしょう。

 

そして豊かになった感性を持って再び現実と接したときに、私の心が現実をより細やかに理解できたという事なのでしょう。

 

文学の効能

以上で書いたように、私は源氏物語から多くの物を得ることができました。

 

そして、その「文学の効能」という物の一つに、「感性の研磨」があると考えるようにもなりました。

 

文学とは、作者が感じた現実の機微や美しさを、文章に置き換えたものです。その置き換えの過程では作者の感性がいかんなく発揮されています。

 

そして、その文章は作者の「感性の集合体」とも言いうるモノです。

 

一流の文学者の感性に触れることで、読者である自分の感性も磨くことができるのです。

 

そうすると、現実から「感じ取れること」が多彩に、かつ深くなるため、発想力や鑑賞力、判断力などを養うことができるのではないでしょうか。

 

例えば、夏目漱石三四郎を読めば、夏目漱石が明治という時代を如何に理解したかに触れることができます。

 

そしてそこから彼の感性に触れることができ、現実をより深く理解でき、また創造性も向上するのではないでしょうか。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。カラマゾフでした。

 

 

潤一郎訳 源氏物語 (巻1) (中公文庫)

潤一郎訳 源氏物語 (巻1) (中公文庫)