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読書習慣とかいう最強で深遠で最も手軽な文化資本

こんにちは、カラマゾフです。

 

少し前(2018年の10~11月ごろ)、ツイッターで『文化資本』という概念が流行りました。今回は、その最も手ごろな文化資本である読書週間についてみていきます。

 

そもそも「文化資本」とは

 

文化資本とはややこしい概念なので、ウィキペディアのページを貼っておきます。

文化資本 - Wikipedia

 

それによると

 

 文化資本とは、社会学における学術用語(概念)の一つであり、金銭によるもの以外の、学歴や文化的素養といった個人的資産を指す。

 

とのことです。はてなキーワードでそのまま参照できるので、そちらを見てみるのもいいでしょう。

 

また、文化資本について詳しく解説されているサイトもあるので、そのリンクも貼っておきます。

mikuriyan.hateblo.jp

 

先ほど貼ったサイトに、文化資本を具体的に解説している箇所があったので引用させていただきます。

 

(引用はじめ)

考えてみてほしい。  

  • お家に絵画が飾ってあった?
  • お家に百科事典や顕微鏡、天体望遠鏡があった?
  • ご両親はバッハやモーツァルトを聴いていた(エグザイルや浜崎あゆみではなく)?
  • 絵画や音楽、あるいはバレエなどの芸術的なレッスンを受けたことは?
  • ご両親は岩波文庫学術書を読んでいたかな(「ジャンプ」や週刊誌ではなく)?
  • ご両親は大学卒で、知的労働者だったかな?
  • 家族で海外旅行に出かけたことは?
  • 正装して両親に連れられたパーティで、多様な人と関わった経験は?
  • 医学部や旧帝大に入るよう育てられた?

 

すべて当てはまった? おめでとう、君は文化資本を受け継いでいる。

 

(引用終わり)

 

文化資本: クリエイティブ・ブリテンの盛衰

文化資本: クリエイティブ・ブリテンの盛衰

 

 

文化資本という物についての大体のイメージはついたでしょうか。では、私が読書習慣のことを「最強で深遠で最も手軽な」文化資本だと考えている理由を解説していきます。

 

 

読書以外の文化資産はカネがかかる 

読書以外の文化資本は基本的にカネがかかります。絵画にせよ音楽にせよ、文化資本といえるレベルまで持っていくには相当な金額と手間がかかります。

 

そもそも、これらの芸術文化は基本的に親自身がそれなりに深い造詣を持っていなければ、子供は身につけることはできません。

 

学歴や海外旅行などもカネがかかります。

 

上流階級が集まるパーティーはカネがかからないと思うかもしれませんが、上流階級と対等に付き合っていくにはやはりカネがかかります。

 

カネが無いのに彼らと付き合おうとしても、クレジットカードのローンに押しつぶされて破産することでしょう。

 

しかし、読書はカネがかかりません。高い本でも大体の場合において数千円程度です。

 

しかも親による特別な教育も必要ありません。中学高校レベルの学力・読解力を身につければ、大半の本は読めるようになります。

 

哲学や思想、専門的な理系の知識などの深い専門分野になってくると独学だけでは厳しいかもしれません。しかし、それらも放送大学などを駆使すれば不可能ではありません。

 

岩波文庫は千円ちょっとで購入できます。文学という芸術に関しては、一級品の作品を千円で自分の物にできるのです。哲学や思想、科学書においても同様です。

 

中には一万円を超すような本もありますが、それは例外です。

 

ドイツ三十年戦争

ドイツ三十年戦争

 

  絵画や楽器を手元に置こうとすると何十万何百万からスタートします。

 

クラシックのCDは千円ちょっとで購入できますが、いざ自分でやってみたいとなった時に楽器をそろえるのと、教室に通うのにバカにならない費用と時間がかかります。

 

その点、文学を自分でやってみたくなった時は、紙とペンさえあればいいのです。

 

総じて読書という物は安上がりで手軽なのです。そして、そこから得られる文化資本の強力さは他の文化資本と比べてもそん色ないどころか、凌駕さえしています。

 

かなりコスパのいい文化資本といえるのです。

 

以下で、読書がもつ文化資本としての魅力を解説しています。 

 

「文化」を長く伝えられるのは文字情報

 読書というか、書籍の中核となる文字情報はコピーが容易です。そのため千年単位の時間を生き残ります。例えば源氏物語は千年前の作品ですし、聖書やギリシャ哲学に関しては二千年前の作品です。

 

千年二千年前の音楽や絵画はそうそう残っていません。残っていたとしても美術館の中か、楽曲再現イベント等に足を運ぶ必要があり、決して自分の物にしてゆっくり鑑賞することはできません。

 

しかし、千年二千年前の文学作品は岩波文庫などで簡単にそろえることができ、自分のものにしてじっくりと味わうことができます。

 

読書習慣を身につけ、文字情報の深遠な海に飛び込めば、百年単位どころか千年単位の時間を自由に行き来することができるようになるのです。

 

二千年以上前のアリストテレスに触れた後に、千年前の和歌に心を揺さぶられ、百年前の福沢諭吉に教えを乞うことができるのです。

 

この時間間隔の深遠さが、読書から得られる文化資本の持つ大きな魅力の一つなのです。

「言葉」に敏感になることで思考が深まる

読書をしていると、自然と沢山の言葉に触れることができます。すると自然と言葉に対する感性が磨かれることになります。

 

そして、人間の思考はその大半を言葉に依存しています。深い思考を展開するには、繊細な言語感覚が不可欠です。

 

読書によって言葉に対する感性を磨けば、言語感覚も鋭敏になり、思考の展開も容易になります。

 

思考が深まれば様々な恩恵を享受することができます。それはいうまでもないでしょう。

 

また、言語感覚が磨かれていれば、自分の感情や思考を上手く言葉に乗せることができるようになります。そうなれば周囲とのコミュニケーションもより円滑に実行できるようになるのです。

 

思考の深化と言語感覚の研磨こそ、読書がもたらす文化資本の中でも最も役に立つものでしょう。

 

そもそも「文化」とは

 ここまで、「文化」という言葉について特に触れずに記事を書いてきました。

 

私は「文化」とは、習慣、芸術、思考など人間活動の集大成とそれに内在するコード(規範)だと考えています。そしてそれらの多くの部分は「言葉」で表現することができ、書籍にまとめることができるとも考えています。

 

もちろん言葉で表しきれない文化も多く存在します。しかし、言葉という伝達手段意外に文化の総体を効果的に伝達できる手段はないと思います。

 

つまり書籍を読み込むことで、文化の総体に最も効率的にアクセスできるのです。

 

これこそ、私が読書から得られる文化資本が最強だと書いた理由です。

 

文化資本、というよりも、文化そのものに繋がることができる。そしてその文化の森を散策して、自分なりの何かを見つけることができる。これこそが、読書という文化資本が最強だと私が考えている理由です。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。カラマゾフでした。