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エリート人生とは、中二病を罹患し続けられる人生

 こんにちは、カラマゾフです。

「エリートの闇」というテーマは、高学歴の人たちが関わる事件が起こるたびに話題になります。広告代理店の東大卒女子社員が自殺したときや、千葉大医学部生や東大生たちが暴行事件を起こしたときは、エリートの闇や傲慢さなどが話題になりました。

 

また、エリート官僚が不祥事を起こすたびに、「秀才は勉強はできるけど人間力がない」といったありきたりな記事が毎回のようにメディアを賑わせます。

 

このようなエリートの闇の本質は、中二病を罹患し続けられる人生という点にあると私は考えています。

 

そもそも、「エリート」とはフランス語で「選ばれた者」という意味です。漫画っぽく言えば「選ばれし者」です。「俺はエリートだぜ!」という事をのたまうエリートは、「俺は選ばれし者だぜ!」と宣言していることになります。これで一気に中二病っぽくなりました。

 

では、詳しく見ていきましょう。まずは中二病についてです。

 

 

そもそも中二病とは

 

一般に中二病というと、邪気眼や二重人格、自称サイコパスなどがあげられます。これらの症状の根底にあるのは、「自分は特別な存在」だという思いこみです。

 

ちなみに「自分は特別な存在」だと思い込むのは、人間として普通の事だったりします。赤ちゃんや幼児は自分を中心に世界が回っていると思い込んでいます。泣きわめけば周囲の大人が構ってくれると思い込んでいるなど、中二病よりも重度な症状と捉えることもできます。

 

また、原始的な共同体では、「自分たちはオオカミの神の子孫だ」なんてことを言っていたりしますが、これも中二病の一種でしょう。自分たちを神と同列の特別な存在として扱っているのです。

それに、昔のヨーロッパ人たちは自分たちを神の子と思い込んでいましたし、昔の日本人だって、日本は神に守られた国だと思っていました。

 

ただ、現代社会において、自分(達)は特別な存在だと思い込むことは痛い行動につながります。平等化が進み、平凡な大衆が力を持つ時代にあっては、皆が等しく凡庸な存在として扱われるのです。(建て前としては、「皆が特別」ということになっていますが、皆が特別ということは一転して皆が凡庸ということです)

 

その様な時代にあっても、自分は特別だと思い込んだ言動を繰り返すからこそ、中二病は滑稽なのでしょう。

 

しかし、そんな「皆が凡庸」な社会でも、「自分たちは特別な存在」だと思い続けることができる人達が存在します。芸術家とエリートです。

 

 

芸術家が中二病を罹患し続けられるのは簡単に納得できると思うのですが、何故エリートも罹患し続けられるのでしょうか。その秘密はエリートが歩んできた人生にあります。

 

 

エリートの人生 

 

一般にエリートというと、まずは高学歴というイメージでしょう。実際に、医者や弁護士を始め、総合商社や広告代理店、大手メーカーの総合職社員などエリートとされる人々は高学歴です。

 

彼らは受験や就活といった選抜に勝ち抜くことで、その人生を勝ち取ってきました。というよりは、その様な人生に振り分けられてきたと言ってもいいでしょう。

 

人より勉強ができれば試験で目立ちます。そうすると、「君は『デキル子』だから、頑張っていい高校、大学を目指しなさい」という教師の言葉がかかります。そうして実際に勉強を頑張ってみていい大学に入ることができると、どうしても「自分は特別」だという意識を持ってしまいます。というよりは、いい大学に入れなかったその他大勢の人たちからチヤホヤされるので、文字通り「特別な存在」として扱われるのです。

 

しかし、いい大学に入るだけではエリートになれたとはいえません。体育会系の部活に入ったり、なんらかの目立つ経験を積むことで就活に備えなければなりません。そのようなたゆみない努力の結果、「学力だけでなくコミュニケーション能力も備えた優秀な人材」として、総合商社や外資投資銀行、広告代理店などのいわゆるエリート企業から内定をもらいます。そして就活においても、その様なエリート企業から祈られたその他大勢の同級生から特別な存在としてチヤホヤされます。

 

努力の末にエリートという立場を手に入れられれば、「私は努力したからこそ、この立場を手に入れたのだ。私は高い社会的地位、つまり特別な人間としての立場を、正当な対価の下で取得したのだ」という論理の下で、「自分は特別な人間」という思いが花開くことになります。

 

まれに、大した努力をせずともこのような人生を送れる超ハイスペックの人間もいます。しかし彼らは彼らで、「大した努力をせずとも勝ち組になれる私は特別な人間だ」と思い込んでいるケースが大半です。

 

確かに彼らは優秀な人間で、人にできないことをいともたやすくやってのけます。しかし、だからこそ「自分は特別」という意識を深めてしまうのです。

 

社会から特別な存在として扱われ、中二病を治す機会がないエリートの人生

 

厳しい競争の末に商社マンや広告代理店マン、医者や弁護士となったエリートたちは特別な存在として扱われます。20代のうちから1000万円を給料としてもらい、合コンに行けば女の子の目の色が変わり、親戚にもほめられます。女性であっても、後輩の女子から「バリキャリカッコいいです!!」と持ち上げられ、チヤホヤされます。

 

そうやってチヤホヤされれば、当然自分は特別な存在だと思うようになります。学生時代陰キャ邪気眼を発症していた秀才や、学生時代陽キャで「俺ら(うちら)最強」だなんてプリクラをとっていた秀才も、等しく「私は特別な人生を歩んでいる」という思いを強めていくのです。

 

若いうちの中二病は治ったかもしれません。しかし、大人の中二病は悪化していくのです。さらに質が悪いことには、この大人の中二病は社会的に容認されている中二病なのです。

 

社会的に容認されているからこそ、「日本を背負う」や、「世界をよりよくする」などといったことを堂々と言えるのですし、周囲の人もそれを茶化すことはしません。むしろ「使命に燃えるエリート君かっこいい!!」と持ち上げられる始末です。

 

 

確かに彼らエリートにしかできない仕事はあります。それに彼らの仕事は実際に世界を変えることも多いです。しかし、そのことは余計に「自分は特別な存在」という意識を深めることにつながります。

 

中二病は悪いことばかりではありません。才能と中二病を両立させた芸術家が魂を震わせる傑作を生み出すように、能力とプライドを両立させたエリートが社会を変革することもよくあることなのです。「自分は特別」という意識を持っているからこそ、エリートたちは異常なまでの激務に耐え、目標に向かって邁進できるのでしょう。

 

しかし、本当の意味で特別な人間なんていない

 

こうして、エリートは自分は特別だと思うようになります。しかし、結局は彼らも人の子なのです。本当の意味で特別といったことはありえません。その思い込みと、現実のすり合わせが上手くいかなくなると破綻を迎えます。なまじっか社会的地位があるためにその破綻はより悲惨な色を帯び、社会にセンセーションを巻き起こします。

 

「自分は特別だ」という思い込みが強すぎれば周囲の人に傲慢な態度をとることになります。その結果、「バカ女はどう扱ってもいい」という思考になって暴行事件を引き起こしてしまうことにもなるのでしょう。

 

また、如何に強靭な体力精神力を持っていても、あまりの激務に心身が限界を迎えることもあります。しかし、だからといって簡単に「退職」という選択をできるわけではありません。人生の大半をかけた努力の対価であるエリートという地位をみすみす手放すわけにはいかないのです。その結果、限界を超えて走り続け、心身に破綻をきたして自殺や過労死をしてしまうのでしょう。

 

競争に勝ってきたというプライドが彼等にはあります。また、社会の上層部に位置するというプライドもあります。その様な「自分は特別」という意識が悪い方に出てしまう、つまり中二病の症状が悪い方向に出るとニュースになってしまうのです。しかも、中二病ゆえのどこか奇妙なふるまいは興味の対象となり、余計に社会の注目を集めます。

 

そして結局、 「自分は特別」という意識が悪い方向には出ず、満足できる人生を送ってきたエリートにも、いずれ試練の時が訪れます。退職です。

 

「退職した元エリート」が、自慢話を繰り返したり傲慢な態度をとって周囲の人間に嫌われるといった話はよく聞きます。確かに彼らは会社の中では特別な人間として扱われていたのかもしれませんが、一旦会社の外に出てしまえばただの人です。ただの人なのに、特別な人としてふるまうのは、結局のところ中二病患者と変わらないでしょう。

 

元エリートで人生を楽しんでいる高齢者の方もいるにはいますが、その様な方は一様に腰が低く、こっちが恐縮するほどの場合が多いです。つまり、自分は特別という意識は持っておらず、中二病も患っていないのです。

 

結局、「自分は特別」という意識を拗らせ、中二病を抱えたままだと、人生のどこかの時点でガタが来るのでしょう。例えエリートであっても、いつかはそれを治さなければならないときが来るのです。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。カラマゾフでした。